7月4日

 

雨の日が続いています。

台風もやってきました。

 

湿度が高くて、蒸し暑いのですが、、ストレッチすると体は伸びやすいのです。

乾いた空気や、寒い気温よりも、、皮膚や筋肉にとっては、

暖かく、湿度のある方が伸びやすく、動かしやすいのかもしれません。

植物も伸びやすく、こんな日は、、アロマの香りも漂いやすく感じます。

 

さらりとして、心地よく感じることも、

今日のように、しっとりと、蒸し暑く感じる時も、

観方によっては、感じ方も様々で、良いも悪いもなくなっていきます。

 

それは、人の観方も同じようで、

素晴らしいという思いも、こんな酷いというような思いも、

思いであることには変わりなく、

その根底にあるもの、命の力が働き、意識のもとに在ること、

どんな行為も、そこから生まれるのだと思うと、、

ここから起きてくる様々な思い、、それが、そのなかに包まれているようで、、

私の中にある、全ての思いが、、許されているようです。

 

本当にしたいこと、、それは、許されること、許すことではなく、

そのどちらにも共通のところ、、そこから、それを感じること、、

救済はいつも、ここに在ること、、

神様はどこか遠くではなく、、ここに在ること、、

そんな本当の私をもっと知りたいと思います。

 

ビルの中に、バスの中に、、この地球に、、この空間に、、

共通のところ、、そこを観ようとするとき、、

今日は優しい気持ちになりました。

毎日、変わる天気のように、、明日はまた違って感じるのかもしれません。

どんな思いも一期一会、、

そんな、たくさんの思いが集まって、今日という日がありました。

どの思いが欠けても、今はありません。

 

今日の全てに、、ありがとうございます。

 

6月12日

 

毎朝、目覚めてから、、ゆっくりとストレッチしながら、

からだの感覚を味わいます。

背中を伸ばし、手を曲げたり、、

その体の伸びている感じに気づくようにしながら、、

 

すると、部屋中のものが目に映っていることに気づき、、

外で鶯の声がすることに気づき、、

様々な感覚があることに気づいていきます。

 

そうやって、ただ、感じていることに気づいていくと、

身体が、勝手に動いているような、、動かされているような、、そんな風に感じてきたり、

聞こえている音、みえている風景が、身体と一つになって、、

すごく大きな画面に映し出されているようにも感じてきます。

 

そんな風に感じられるこの画面も、ここから唯一のもの、、

それぞれの人の、動物の、植物の、、

それぞれのところから感じられる画面=風景があると思うと、、

たくさんの世界が同時にここに在って、

それが人間でいうと、小さな細胞の一つ一つのようで、、

そんな一つ一つが集まって、この地球となって、、その地球が一つの細胞だとすると、

とっても大きな一つがこの宇宙であるようで、、

どこまでも大きく、どこまでも小さく、、広がっていくようです。

 

その大きく、小さく、、なっていくことが、、

また、ひとつの呼吸のようで、、

そんな風に感じられること、今ここに、、不思議さが、奇跡がいっぱいになります。

 

小さな思いも、、宇宙の始まりも、、みんな、、同じところから生まれている、、

そんな風に、感じられると、、

どんな人も、思いも、、全てが、、価値が等しく、、

一つ一つのこと、丁寧に観ていきたいと、、そんな風に思います。

 

小さな宇宙でもある、この体を、

これから、寝る前に、、また、少しほぐして、、

今、ここにある、その感覚を味わいたいと思います。

今日も一日をありがとうございました。

 

6月8日

 

六月に入りました

六月は水無月と呼ばれます。

「無」は「の」を意味し、

水無月=水の月というのがその語源となっているようです。

天の水がこの地に全て降り注ぎ、天の水が無くなるからとも言われているようです。

 

地球は水の惑星、約70%が海である水に覆われています。

この身体も、同じように約70%が水でしめられています。

水はどこから来たのかはわかりませんが、

この地球が生命を育むのには欠かせません。

 

もし、水に色がついていたり、香りや、形が決まっていたら、、

どんな風になっていたのでしょうか?

無色、透明であること、、形から自由であること、

そのことが、この意識のように、、いつも、気づかないところで、

この命を生かしてくれていること、、

あらためて、すごいな、、と、思わずにいられません。

 

この、水の月、、水の神様に感謝して、祝福したいと思います。

これから、ゆっくり、お風呂でそのお湯を全身で感じ、

その心地よさを捧げたいと思います。

いつも、ありがとうございます。

 

5月26日

 

今日は新月です🌑

 

今、「しんげつ」と入れて、、

しんげつ=心月=神月と、、そんな変換が出てきました。

 

5月の満月🌕は、、天と地が最も近くなると言われ、

願いが叶いやすいと言われています。

 

願い事、、心からの願い、、と、神様の願い、、

この新月の日、、神様の願いを叶えたいと思いました。

神様の願いとは、、何だろう?

もし、神様だったらどうしたいですか?と、、

そんな問いを投げかけていただいたこと、思い出しました。

 

この身体を成り立たせている力、全ての生命の源、、

この心が起きてくるところ、、それを感じることができる、、

全ての人に共通のところ、、

今朝、雨音を聴きながら体を伸ばして、、その感覚に意識を向けていると、

身体を伸ばす感覚と、雨音が、、同じようで、、

また、その意識を確認していくと、、

手の形、音が、、生まれていくようでした、、

 

神様の願いとは、、叶えるのは、、

この身体を確認し、心に気づき、、

いつも、その願いが叶えられていることを思い出すためにあること、

どんな思いも、出来事も、、それは神様を思い出すためにあること、

一見、どうして、、と、感じるようなことも、、

それを感じてみたかった、、神様の願いを叶えているのかもしれません、、

 

だから、一人一人、、違っていい、、

何が好きで、何が嫌いで、、全てそのままにあるように、、

神様の願いを叶え続けていきたいと思います。

本当の願いは、いつも叶っていることを、、思い出していきたいと思います。

 

5月7日

 

5月に入りました。

5月はマリア様の月とも言われています。

 

 マリア様のこころ、それは青空、

 私たちを包む、ひろい青空、、

 

いつか、知り合いの修道女の方に教えていただいた、

マリア様のこころ、という曲、この歌詞を思い出します。

 

どこまでも境目なく広がる青さが、この地球そのものようでもあり、

また、この地球に映し出されているのが、マリア様のこころのようでもあり、

この5月に、空を見上げると、、とても優しい感じがしてきます。

この目に映る、青さを、優しさを、、ありがとうございます。

 

4月30日

 

今日で4月も終わりになります。

随分、暖かくなって窓を開けてすごせるのが嬉しく思います。

 

今朝、ドラゴンボールをみていたら、

守りたい、その思いが強すぎると、その思いに囚われ、

現実がみえなくなる、、と、そんなセリフがありました。

 

守りたいもの、人だったり、モノだったり、、

それは、実際は人そのもの、モノそのもの、よりも、

それぞれの人への思い、価値観、考え方なのかもしれません。

その思い=私、となってしまい、それが無くなってしまうことは、

私が無くなってしまうこと、そんなふうにも思います。

それはとっても不安で、恐怖に感じてしまいます。

 

守りたいという思いをよく見てみること、、

守りたいと、そう感じられること、、

無くなってしまう、という不安さえ、、そう感じられること、、

それらを感じられるということ、

それは、今ここにあるからこそ、、この現実があるからこそ、

 

どんな人も、モノも、今、そこに在るだけでいいと、、

そのことは、その存在に、中心を置くことは、、

苦しむ自由、悲しむ自由、喜ぶ自由、楽しむ自由、、

その自由から全ての思いを、観ているようで、、

どんなことが起きるかはわからない、

どんな思いが起きてくるかはわからない、

そう思うと、その思いの方から、くるりと反転して、今ここに戻ってくるようです。

自由だから起きてきた思い、だからこそ、、何かおきてきた思いに抵抗せず、

感じることを、そのままに、、この今を味わいたいと思います。

 

4月の神様、ありがとうございました。

 

4月24日

 

今日はとても大切な方の命日でした。

身体をもって、お会いすることは出来ませんが、、

その方の笑顔、お声、、それを思い出していました。

 

もう、二度と、、直接、そのお声を聴くこともありません。

そう思うと、今触れているもの、聞こえている音、感じていること全て、

本当に、かけがいのない瞬間の連続なのだとも思います。

 

そして、そんな風にその方の事を思い出すと、

その時の、その方への思い、、イメージのようなものが

心となって映し出されるようです。

この身体も、いつか、同じところへと戻っていく、、

その時、どんな風に感じるのかはわかりませんが、

今、こうやって、ここで、映し出される心、感じること、

それらすべてが、あの、夜空に輝く星のように、、

その闇があるから、空間があるこそ、浮かび、輝かせるように、

この空間となって、この身体や、心を、成り立たせてくれる、、

この意識と同じように、、いつも、そばに在って、、包まれていること、

身体をもって、会うことは出来ないけれど、、

いつも、一番そばにあるのかもしれません。

 

もう一度、会いたいと思い、声を聴きたいと思えることも、

その全てに、ともにあってくれること、、

そう思えること、、そう感じられること、、その意識に、

その命の源に、そっと、手を合わせるように、、

この呼吸を感じ、、心音を聞き、、

この空間と、呼吸を合わせてみたいと思いました。

 

そして、ここから、、笑顔や、言葉を、紡いでいきたいと思います。

いつも、ありがとうございます。

 

4月20日

 

昨日は凄い風が吹いていました。

干していた洗濯物が物干し竿ごと飛ばされて、

その風の強さに驚きました。

今日は、そんな風も止み、とても静かです。

 

状態はどんどんと、移り変わりますが、、

つい、一つの状態を保ちたい、、

それも、自分が良いとしている状態を保ちたいと、、

お天気でいうと、

例えば、ずっと、晴れていることがいいと、

そんな風に思っているのだと思います。

 

晴れの日もあれば、雨の日もあって、、曇りの日もある、、

そんな自然のことに、抵抗するのです。

それに抵抗すると、とっても、エネルギーを使い、疲れます。

何故、雨の日はだめなのか?

何故、曇りの日はだめなのか?

 

もし、晴れてばかりだと、

雨の音に、ほっとすることも、その潤いにのどの渇きを癒すこともできません。

曇りの日に、暑さをしのぐことも、、出来なくなってしまい、

また、晴れの日のありがたさを感じることもないのでは、、と、

そんな風にも、思います。

それでも、晴れの日を望んでしまう、、そんな思いも、、わかります。

 

昨日、雨の後、久しぶりに虹をみました。

空に、、少しだけ、、かかった虹をみて美しいな、、嬉しいな、と思いました。

でも、本当は、虹が美しいのではなく、

それを美しいと思う、そんな心が起きてきただけ、

 

そして、虹は、、太陽と雨、その光のタイミング、

必要なものが、その時、そろってみえたもの、

虹が奇跡なのではなく、その、太陽や、この地球の位置、雨、風、

それらがともにあってこそ、虹が現れる、それこそが奇跡なのだということ、

 

それを観て、美しい、、と、感じられたのも、

この身体あり、目があり、、と、

この身体も、心も、、同じ、自然の一部なのだとしたら、、

今、ここに在ることが、何よりの、奇跡で、、そんな風に思うと、

どんな思いも、奇跡的で、必要なことのようで、、

このままにと、そのままにと、、そんな風に感じてきます。

虹を見て、美しいと思ったこと、、それでいいのだと、、

そう感じられたこと、、人間で、この身体で、よかったと思います。

どんな一日も、、価値は等しいのだと、、そんな風に思います。

 

今日も、一日をありがとうございます。

 

4月17日

 

桜が満開になりました。

木々も緑の芽吹きが進み、鳥のさえずりに、春の息吹を感じます。

そんな朝は、体の細胞も何だかワクワクするような、、

目を閉じて、その感じを全体に巡らせていくように、

それに気づいていくと、

この身体という、境目が消えていくようになって、

周囲の空気感、、鳥の声も、その芽吹きの緑も、、私の一部のように、

透明な体の中にその風景が入ってくるようです。

 

声を出してみます。

朝の神様に、その感覚の持ち主=命の源に、問いかけるように、、

すると、その声も、、その風景の中の一部として、風のように流れていきます。

また、一方では、湧き出る泉のように、、

そこから溢れて、またもとのところに戻っていくようでもあって、

言葉も、、この風景の一部、個人のモノではない、、そんな風にも感じます。

 

あんなこと言わなければよっかった、、

こんな風にいわれた、、

そんな風に、言葉に囚われることは、、

その言葉の本当の持ち主が、わからなくなっている時なのかもしれません。

言霊と言われるように、それに、命の働きがあり、、

それが、生まれて、、消えていくこと、

それが、消えることは自然の営みですが、、

それに囚われてしまうことは、消えようとするものを、、

捕まえようとしているのかもしれません。

それは、自然ではないから、、苦しく感じてしまったり、、腐ってしまったり、、

 

どんな言葉も、出来事も、、どうか、そのままに、、

自然に、、ただ、あるように、、その本当の持ち主のもとへと、、戻っていくこと、

桜の花が散るように、、自然なことなのではないかと、、そんな風に感じています。

 

4月12日

 

桜が咲き始めました。

日本人にとっては、その花を観ると、、

お花見だったり、春を感じたり、、その季節を感じるシンボルのようです。

また、その花の散る様子に、人生に例えられたりもします。

他の国の文化では、桜の花はまた違った意味を持つのかもしれません。

 

同じものを見ても、それぞれに見方があり、ストーリーがある。

時には、その見方が違うことが、摩擦の原因になったりもします。

お互いの違いを認め合い、尊重出来たら、、と、思います。

好きな花がそれぞれあり、幸せの感じ方もそれぞれにある、、

悲しいと、苦しいと、嬉しいと、楽しいと感じられることが、

それぞれのストーリーを彩り、一つの国や、文化を豊かにしていくこと、

そこには、たくさんの物語があり、それぞれに違います。

それは、一つのことが、たくさんの見方がある無限の可能性のようにも思います。

 

そのたくさんのストーリーを成り立たせているもの、

どの時にも、どの時代にも、人にも、動物にも、、全てに共通のところ、、

命の源、その意識があること、、そこから全ての物語が展開していること、

そのことを忘れずにいたいと思います。

 

3月26日

 

日曜日、周囲はとても静かです。

休みの日になると、、あれをして、これをして、、と、

やらなければならないと思っていることがたくさんあります。

でも、大抵は出来なく一日を終えてしまうことが多いです。

勝手に、一日を忙しく妄想しています、、(苦笑)

 

そんな時は、身体も疲れていることが多くって、、

いっぱいやらなきゃ、、と、思っていること、、

そんな、、思い、、それを認めて、、

そのままを、、この身体のサイズ、そのままにあわせるように、、

このままにあることに、、ただ、委ねます。

足の先から、、ゆっくりと、、その思いをほどいていくように、、

力を抜いて、、呼吸を感じて、、

そうしていると、、いつの間にか、、寝てしまって、、(笑)

起きると、スッキリしていました。

 

本当にやらなければいことなど、一つもないのかもしれません。

そして、、本当に、しなければならないことは、、

この呼吸のように、、しているのかもしれません、、

そう思うと、、全てを委ねること、、

そのことは、思いを、とても自由に観ているようで、、

自由=自らを由とすることのようで、、

身体も、こころも、ほぐれていくようです。

 

そんな風に、みていると、、

空に浮かんだ、雲の、合間の青空をみていくようで、、

すごく、、大きな、青さ、、に包まれて、、広がっていくような、

そんな感じがしてきます。

また、一つ、、深呼吸したくなりました。

この呼吸の持ち主に、、感謝します。

ありがとうございます。

 

3月23日

 

昨日は古川でグループワークでした。

その中で、みなさんと(といっても私を含め3名ですが、)お話ししていて

人生のストーリーについて、、

その出来事、一見、、何故こんなことが、、ということも、、

振り子のようだね~と、、そんな話になりました。

良いこと、悪いこと、、振り子のように、、

 

でも、、一見、良くないと思えること、、

そこだけみるとわからないけれど、、この世界を大きな振り子としてみると、

ここで起きていることは、その大きな振り子のバランスをとる一部で、

そこからみると、どんなことも無駄ではなく、、起きることがただ起きていると、

どの人も、そうしようとして、そうしているのではなく、

そう思おうとして、、思っているのではなく、

全体から観ると、、バランスの中にあって、、

自然の中の一部として循環の中に在ること、、

 

どちらかが、正しいのではなく、、その両方があること、

だからこそ、、私が私らしく、、あなたがあなたらしく、

それぞれがそれぞれのままにあること、、

その上で、楽しさや、明るさを、、見出していきたいと、、

ワクワクすること、どんどんしていきたいね、、と、そんな話になりました。

 

今、朝の太陽の光で、、明るいです。

今日の命を、明るくと思います。

 

3月20日

 

今日は春分の日です。

昼と夜の時間が、ほぼ半分の日です、、

春分の日とは、自然をたたえ、生物をいつくしむ、

その祝福の日と書かれていました。

 

朝、そのことを思い出して、、

今日、この一日を、自然として、生物として、、

たたえ、愛しみたいと思いました。

 

そう意図したとき、この一日が、、

かけがいのない、とても大切な時間、、

その時間=生物、のようで、、時間に命が宿っているような、、

そんな感じがしてきました。

(時間ということも、、人間の考え方なのでしょうが、、)

 

時間は心のように、川のように、流れていくイメージあるのだけれど、

その時間を、逆に、みつめる、感じる、、そうしてみると、

空間が縦に割れていくような、、止まっているような、、そんな感じがして、

そこに呼吸を合わせるように、手を合わせるように、、していると、

時間が、流れているというよりも、瞬間瞬間に、消えて、うまれていくようです。

 

その生まれて、消えていくところ、

そこから時間の神様に、この春分の日に、、

ともに在ることの奇跡を感謝したいと思います。

 

時間があることで、約束して、会いたい人に会うことができます。

時間があることで、仕事や、学校の始まりと終わりが出来ます。

時間があることで、こうやって、言葉や文字を表現できます。

時間があることで、この身体の、心の、移り変わりがわかります。

(まだまだ、、たくさんあると思いますが、、)

時間の神様、、いつも、、ありがとうございます。

 

3月16日

 

毎日の中に、ワクワクするようなことをみつけること、

楽しむこと、、小さな頃のことを思い出していました。

学校の行き帰り、、その道に、石ころを蹴ったり、

走ってみたりしたこと、思い出していました。

 

今朝は、地下鉄から地上に上がっていくまでの間、、

いつも、通っている通路の反対側を歩いてみました。

人も少なくって、、ちょっとしたことなのだけど、、風景も違ってみえます。

歩くペースもゆっくりにしてみました。

 

ちょっとした違いなのだけど、、何だか、周りも広く見えるようです。

面白くなってきて、上る階段も、地上に出てからも、、

歩く一歩一歩、どこにしたいかを楽しんでみました。

今日の道を探検するつもりで、、

 

どんなところも、、たくさんの楽しさが隠されているようです。

それをみつけていくことは、宝探しのように、、ワクワクしてきます。

その宝物は、、他の人から見たら、宝物には見えないのかもしれません。

今、与えれれているもの、、その中に素晴らしいものを探していくこと、

これからも、楽しみたいと思います。

 

3月10日

 

今日は帰りのバスの中、寝過ごしてしまいました。

いつも、帰りのバスは暖かくって、その揺れ具合が気持ちよくなり、

ウトウトしてしまいます。

いつか、寝過ごしてしまうかも、、とは思っていましたが(苦笑)

二つ、停留所を過ぎたところでした。

 

わ~、、と、思って、ちょっと寝ぼけながら降りました。

びっくりしもしたのですが、外の空気が冷たくて、気持ちよく感じました。

反対の道にわたって、バスを待とうと思いましたが、、

来る様子もないので、歩き始めました。

チラホラと雪が舞い、、見上げると、、

その雪のむこうに、ふんわりとお月様もみえました。

 

その道を歩いて、、何人かの人にすれ違いました。

この道を、、たくさんの人が歩き、車が通り、、どこかに向かう

帰る場所があることは、とてもありがたいことです。

 疲れた時、休むところ、、

 悲しい時、癒されるところ、

 嬉しい時、それを報告して、分かち合うところ、

私達は、、どこかに向かっているようで、、

本当は、、安心の場所に帰ろうとしているのかもしれません。

 

いつもより、少し長く歩いて帰ったその道は、、

そんな、安心のところへつづく道、、

道の神様、、

いつも、、たくさんの人や車を通して下さってありがとうございます。

そして、安心のところへ導いてくださってありがとうございます。

 

3月9日

 

本当にしたいことをしている時、

そのときは、とてもうれしく、精一杯、そのことをしようと思います。

そして、それがもし、うまくいかなかったとしても結果は関係くなく、

やりきったことで、満足し、

また、うまくいかなかったことも、

工夫する楽しみ、余地になっていくのでは、、と、思います。

 

一日の中でも、たくさんの選択があります。

例えば、お昼ごはんに何を食べるかも、、食べることへの向き合い方も、

 どうしたいか?

みんな、そのことにつながっていくのでは、、と、思います。

こうやって、この画面に向かうときもそうで、

表現の内容もそうですが、その姿勢、どうしたいかが大切に思います。

こうやって、毎日、文字にすることは、

体調や、気分は、毎日違いますが、、いつも変わらないところへ

そこに、向かう一つの扉だと思っています。

いつも、扉を開き、、

本当にしたいことを問う、

そのどちらも、同じことのように感じてきます。

 

今日も、色んな思い、出来事が起きてきました。

本当にしたいことができたり、できなかったり、、

その全てに感謝したいと思います。

ありがとうございました。

 

3月8日

 

朝、、ちらほらと雪が舞っていました。

白い花びらのように、、とてもふんわりとしていました、、

空は青く、晴れていて、、寒いけれど、フワッとした気持ちになりました。

 

帰り道、空を見上げると、、すごく明るい星が見えて、、

お月様も、明るくて、、

まだ、少し、、明るさの残った青空と、

夜空の藍色とがグラデーションのようで、、空が高く、寒さも美しく感じました。

 

空の星や、雪のような、自然の風景にも、、

人間の作った、ビルの姿と、、そこで働く人の姿にも、、

それぞれの、素晴らしさがあることをみていきたいと思います。

 

地下鉄に乗っていて、、

この地球(ほし)から、人がいなくなるとしたら、、どうなるのだろう?

そんな思いが、湧いてきました。

この星は、、変わるのでしょうか、、?

大気や、海を汚染することはなくなるのかもしれません。

特に、大きな変化はないのかもしれません。

 

何も変わらなくとも、、変わったとしても、

今、、こうして、この地球に在ること、、

この星にあって、空を見て、、風景を見て、美しい、、と、表現できること、

何かに囚われ、、様々な思いを感じること、、

今のこの時の、大きなパズルの小さなピースをうめるようです。

 

どんな小さな存在も、、欠かすことのできない存在であること、、

同じ力が働き、ここに在ること、、

今、ここに在ることが、、それで完全なのだということ、大切にしたいと思います。

そんな思いを、、この地球にかえすように、、もどすように、、

この地球が生まれたところへ、力の、命の源へもどすように、、

この地球の素晴らしさを、美しさを、、

人の営みの小さな優しさを、明るさを見出していきたいと思います。

 

3月7日

 

「願い」について感じたこと、、

願いは、叶う、、叶わない、、と、、よくそんな風に表現します。

 

願いには、叶うものと、叶わないものがある、、

叶う、叶わないとは、、思った通りになるか、ならないか、とも言えます。

この世界で、、全てのことが、思った通りになっているか?といえば、

ほとんどの方が、そうではないと言われるのでは、、と、思います。

 

一日の中で、呼吸をしようと願ったことはあるでしょうか?

心臓を動かそうと、思ったことはあるでしょうか?

目が乾くから、適度に瞬きをしようと思ったことは?

そんな風に、願わなくとも、、自然にこの身体が保たれていること、、

それは、思った通りになること、、

その一番大切なところの願いが、叶っているのではないかと、、そう思うのです。

 

もし、その願いが叶っていなかったら、、

しょっちゅう、息をして、心臓を動かして、、と、、

思いつづけることになり、とっても忙しくて、、大変で、、

身体を保つこと一時間だけでも、無理かもしれません。

 

一番の願いは叶っていること、、そう思うと、、

その中に、、小さな、様々な、たくさんの願いがあって、、

どの願いも、、その一番の願いとつながって、、

その一番の願いが叶っているからこそ、願うことの出来る、、その次のこと、、

でもそんな、、小さな願いも、一つ一つ、よくみていきたいと思います。

そこから、、本当の願いは叶っていること、、忘れずにいたいと思います。

 

3月6日

 

今朝、起きた時、、何かを願うこと、

幸せを願うこと、、そのことが、すでにそうであること、、

幸せを願う、、祈ること、、そのものが幸せであること、

だから、本当は幸せを願わなくとも、、祈らなくともいいとわかっているのだけれど、

そうすることが、私の幸せであると、、そんな風に、感じていました。

 

一日を過ごして、、

嫌だと感じたり、イライラしたり、、ストレスに感じることもありました。

朝に目覚めた時に感じたこととは、真逆のような思いです。

そう思ってしまうことに、、また、嫌だな、、と、思いがちなのですが、

人間の心の裏表のようで、、そのことが、また、人間らしくて、、

このままでいいと、、そう、観ています。

 

この世界には、素晴らしいと感じる出来事、、

どうしてこんなことが、、と、思うような出来事があります。

その両方が、この世界にはあって、、心も、それにより移り変わります。

どんな時も、、この世界の出来事をみつめている私、、

そこに在ることだけが変わりません。

 

今日、起きてきた、様々なこと、、その思い、、全てから、

その変わらないところへ、、そちらに向かって手を合わせたいと思います。

そうやって、そちらに、意識の方に向かうとき、

どの思いも、思いは、思いであることに変わりがなく、、そのように、、

その変わりのないところへと、、戻っていくようです。

そして、、実は、何もしていなかった、、そんな風にも感じてきます。

 

だからこそ、、手を合わせたいと思います。

今日も一日をありがとうございました。

 

3月5日

 

大切な人達、、

それぞれにあるかと思います。

実際に身体をもって、会い、言葉を交わしたり、

そんな風に、出来ることは、とても幸せなことだと思います。

 

どんなに、言葉を交わしたくても、そう出来ない時、

会いたくても会えない時、、そんな時、、

寂しい気持ちになるのですが、、

そう思っていることに、嘘をつかず、、そのままに、

その人達の顔を思い出します。

そして、その人達の、笑顔を思い出します。

笑顔が思い出せない時は、その人達の幸せを願います。

 

そんな風に、、願うとき、、

少しずつ、緩んできて、、ここで、私も笑顔にと思います。

意識を向けて、、笑顔で、幸せで、つながっているようで、

このままで、、と、、幸せをと、また願います。

 

それは、、人にだけでなく、、この目に写る風景に、、

出会うものすべてに、そうであることも願います。

それは、幸せに包まれるようで、、

この空の青さのように、、この地球に、映っていくるように、

いつも、それに包まれていること、

 

そう思うと、どこにも、境目なく、、いつもその中にある、

ここに在る=意識、、それが本当の幸せなのだということ、

その中で、日々に出会うこと、交わす言葉を、大切にしたいと思います。

 

3月4日

 

起きたら、、周りが、明るく、、午後の一時でした。

夕べ遅く寝たのですが、それにしても、、

よほど、疲れがたまっていたのかもしれません。

その上、目が覚めても、、布団からすぐには起き上がれず、、

結局、、身体を起こしたのは、、午後の二時を過ぎた頃でした。

 

一日の時間は24時間という、決まり事があるのですが、、

今日は、それを考えるのをやめて過ごしてみようと思いました。

おなかもほとんど空いていなかったので、、

食べることも、、体にまかせてみようと思いました。

 

すごしてみて、、面白いな、、と、感じたのは、、

長く起きてているから、時間を長く感じるのではなく、、

その時間に、自覚的であると、、ゆっくりと感じるということ、、

起きている時間は、いつもより、短いはずなのに、、

今日一日が、とても、長く感じています。

 

そして、、あんなに、眠ったはずなのに、、

身体が、、起きていられない感じです、、

なので、今日は、、この後、シャワーを浴びて、、

早めに休みたいと思います。

時間の神様、、一日をありがとうございました。

 

3月3日

 

今日はひな祭りでした。

お内裏様とは、本来、おびなとめびなの二つの雛人形を

一つとして表す呼び名だったそうです。

 

この世界は二極の世界、、

+と-、陰と陽、光と闇、内と外、男と女、、

形として、現れているのは、この二つがあるから、、

思いも同じように、、好きと嫌い、楽しいと苦しい、、

それらも、一つのことを現していること、、

 

こうやって、何かを感じて、表現する、、

そのことは、言葉にならないところ、、その何かの存在の証明のようです。

見えるもの、みえないもの、、

この空間と、そこに形としてあるものの関係も、、

この空間があるから、、全ての形あるものがわかることも、

形あるもの、感じられることの全ては、、

その形なきもの、感じることに気づいているこの意識、

そのことを、私が私であることを確認する、認めるために、

この世界を維持する力として、在り続ける、、

そのために創造されたのでは、、とも思います。

 

そう思うと、そこに存在する、、それが何より大切なことだと思います。

どんな形か、どんな思いか、ということよりも、、

ここに在ること、そのことに気づくこと、

私の本性、、そのことに気づく時、手と手を合わせるように、

私が私と出会う瞬間なのだと思います。

 

お内裏様は、、そんな、、私を形として見せてくれている、、

お内裏様の雛人形はないけれど、、

今日は、甘酒でお祝いしたいと思います(笑)。

 

3月2日

 

咄嗟の時、、その人の普段の考え方が、クローズアップされるように思います。

今日は、こうしよう、ああしよう、、と、、思う前に、

身体が、先に動いている時がありました。

 

思いがけず、、体が動いてしまう、、心よりも身体が先に動き、、

その後に、心がついてくる感じは、、

全てがそうではないのでしょうが、本能的なことに関わっているのかもしれません。

今日、そんな風に感じた時も、、人の命の緊急の場面でした。

いつも以上に、周りがゆっくりと動き、静かにみえているような、、

呼吸、目の動き、、顔の色、、身体の動き、、周囲の動き、、

もう一人の私がそばに立ってみているようでした。

すごく、長い時間に感じたのに、、20分もたっていないことにも驚きました。

 

よく、事故の時など、スローモーションに感じることがあると聞きます。

それと同じか、違うのかはわかりませんが、、

身体が、こうした方がいい、、と、教えてくれるような、、そんな感じで、

思いもよらぬ、力も出ていたようで、、

後から、、手に力が入らず、そのことに気づき、また、驚きました。

 

よく、人間の脳の働きの数%しか使っていないと言われたりしますが、、

まだまだ、未知数に、、この身体や、心の働きがあることも感じます。

そして、身体や、心ではない、、何かに動かされていること、

その意識、、それがその全ての源であることを感じずにはいられません。

そのことが、とても明確に感じられた一日でした。

ありがとうございました。

 

3月1日

 

今日から3月のスタートです。

3月の神様、、今月、与えられる全てに感謝します。

どうか、よろしくお願いいたします。

 

同じ、寒さ、気温なのに、、何となく、、

今朝は、春めいた空気のにおいのようなもの、、

気配のようなものが感じられました。

少しずつ、変化しているのかもしれません、、

 

日本には四季があり、それを愛でる文化があること、、

生活の中に、それが自然に溶け込んでいるのもいいな~と、思います。

月を見ることを楽しんだり、花が咲くことを喜び、、

そのことを食に結び付けたり、

その変化を楽しみ、、工夫し、受け入れることのできるのが素敵だな、、と、

 

そんなことも、忙しさ、ストレスの中にあると忘れてしまいがちですが、

何か、、フッとしたとき、、その香りや、味、、鳥の鳴き声、、

その五感の刺激から、、思い出すことがあります。

ここのところ、甘酒を酒かすから作っていますが、、

その香り、色、、飲み口に、、小さな頃の記憶がともによみがえり、、

懐かしさと、ともに、、その時の場面まで浮かんでくるようで、、

身体も心も、、ともに温まるようです。

 

そして、小さな頃は気づかなかったけれど、、

本当の作り方や、祖母がどんな風に作っていたのかはわからないけれど、

その甘酒を作る工程に、、様々な、手作業があるということ、、

その工程を思いながら、作っていくのは、、謎解きゲームのようで、、

その食材や、お鍋に、、相談しながら、、台所に立つのを楽しんでいます。

 

そんな楽しみが、日々にあること、、嬉しく思います。

身体や心を、、そんな風に、、使っていくこと、、

本当の私=意識との共同作業のようで、、

五感を通じて、、感じること、、全てのこと、

神様、いつもありがとうございます。